ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の死──カトリック教について
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、バチカンの法王宮殿で死去した。享年84歳だった。パウロ2世法王の法王就任は、1978年であるから、ほぼ四半世紀にわたって法王の座にあった。
法王は私の青年時代以降の時間をほとんど同時代人として生きてきた。法王は1920年のポーランドの生まれで、したがってナチスドイツの侵攻を青年時代に体験している。反ナチス運動に参加もしていたようである。そして、ポーランドの労働組合のワレサ書記長らの精神的な支柱となって90年以降のゴルバチョフのペレストロイカに始まる共産主義崩壊の歴史的な現場に立ち会ってきた。
幸いにして、現代においてカトリック教は、わが国においても支配的な宗教ではなく、また中世のように、カトリックの教義に反するという理由で、異端審問にかけられることもない。私が勝手に聖書を研究したからといって、それによって自由な信仰を妨げられることもない。思想信条の自由、宗教の自由は、人類の歴史的な成果であり、先人が血と汗と涙を流して購いとった成果である。私たちもその恩恵によって自由を享受している。
カトリック教徒は世界に十一億人いるそうである。しかし、もちろん、そのすべてが真のキリスト者ということは、そもそもありえない。しかし、その長い伝統と、その教義のゆえに、私もまたカトリック教については相応の敬意をもっている。カトリックのキリスト教は純粋で、多くのキリスト教のなかでも、もっとも非俗的で、多くのプロテスタント教会や新興宗教のキリスト教が、その教義を変質させ、混乱し俗化してしまっている中にあって、なお、高貴な宗教であることは認めている。
中南米アメリカ諸国で影響力をもった、いわゆる「解放の神学」についても、法王がどのような見解を持っていたのかわからない。しかし、カトリック教は中南米においても抑圧的な政権の支柱になるとともに、また一方で下級神父を中心にして、抑圧された貧しい人々のために多く働いてきたことも事実である。
私はもちろんカトリック教徒ではないが、しかし、聖書を私自身の思想と哲学の源泉と認めている点で、接点もしくは共通点はあるかもしれない。特に、結婚観や避妊の問題については、カトリックと私の考えはほとんど一致している。離婚を認めないこと、妊娠中絶には反対であることなどである。
私の「教会観」については、また別に論じることはあると思う。ただ個人的には、私の立場は、単なる聖書研究者で十分である。そしてまたヘーゲル主義者として、私はヘーゲルのカトリック観を肯定し継承している。ヘーゲルのカトリック批判は、彼の「精神哲学の第二編、客観的精神・§552」以降に展開されている。すなわち、「カトリック教は精神的に不自由な原理の上に成立している宗教」であるということである。ヘーゲルはまた言っている。「もし、宗教において非自由の原理が放棄されていないとすれば、たとい、法律や国家の秩序が理性的な法律の組織に改造されたとしても、そのときには何の役にもたたないだろう」と。
まあ、「何の役にも立たない」とまでいうのは言いすぎであるとしても、フランス革命が宗教改革を経ない国家の改造であったように、現代の日本社会が、太平洋戦争後に制定された日本国憲法によって、より理性的な法組織に改変されたとしても、それが、「宗教改革なき革命」である点では同じである。それは言わば「現代の愚事」のひとつであって、その悲喜劇が現代の日本を覆っている。
しかし、いずれにせよ、カトリックが二十一世紀以降の人類の国家の精神的支柱になることはありえない。私たちが、万葉集の純朴な天真爛漫や、古代ギリシャの人間的な優美さを思い出すように、カトリックの清貧と従順を懐かしく思い出すとしても、それはすでに失われた過去の歴史の思い出としてであって、現代の精神的な原理としてではない。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、バチカンの法王宮殿で死去した。享年84歳だった。パウロ2世法王の法王就任は、1978年であるから、ほぼ四半世紀にわたって法王の座にあった。
法王は私の青年時代以降の時間をほとんど同時代人として生きてきた。法王は1920年のポーランドの生まれで、したがってナチスドイツの侵攻を青年時代に体験している。反ナチス運動に参加もしていたようである。そして、ポーランドの労働組合のワレサ書記長らの精神的な支柱となって90年以降のゴルバチョフのペレストロイカに始まる共産主義崩壊の歴史的な現場に立ち会ってきた。
幸いにして、現代においてカトリック教は、わが国においても支配的な宗教ではなく、また中世のように、カトリックの教義に反するという理由で、異端審問にかけられることもない。私が勝手に聖書を研究したからといって、それによって自由な信仰を妨げられることもない。思想信条の自由、宗教の自由は、人類の歴史的な成果であり、先人が血と汗と涙を流して購いとった成果である。私たちもその恩恵によって自由を享受している。
カトリック教徒は世界に十一億人いるそうである。しかし、もちろん、そのすべてが真のキリスト者ということは、そもそもありえない。しかし、その長い伝統と、その教義のゆえに、私もまたカトリック教については相応の敬意をもっている。カトリックのキリスト教は純粋で、多くのキリスト教のなかでも、もっとも非俗的で、多くのプロテスタント教会や新興宗教のキリスト教が、その教義を変質させ、混乱し俗化してしまっている中にあって、なお、高貴な宗教であることは認めている。
中南米アメリカ諸国で影響力をもった、いわゆる「解放の神学」についても、法王がどのような見解を持っていたのかわからない。しかし、カトリック教は中南米においても抑圧的な政権の支柱になるとともに、また一方で下級神父を中心にして、抑圧された貧しい人々のために多く働いてきたことも事実である。
私はもちろんカトリック教徒ではないが、しかし、聖書を私自身の思想と哲学の源泉と認めている点で、接点もしくは共通点はあるかもしれない。特に、結婚観や避妊の問題については、カトリックと私の考えはほとんど一致している。離婚を認めないこと、妊娠中絶には反対であることなどである。
私の「教会観」については、また別に論じることはあると思う。ただ個人的には、私の立場は、単なる聖書研究者で十分である。そしてまたヘーゲル主義者として、私はヘーゲルのカトリック観を肯定し継承している。ヘーゲルのカトリック批判は、彼の「精神哲学の第二編、客観的精神・§552」以降に展開されている。すなわち、「カトリック教は精神的に不自由な原理の上に成立している宗教」であるということである。ヘーゲルはまた言っている。「もし、宗教において非自由の原理が放棄されていないとすれば、たとい、法律や国家の秩序が理性的な法律の組織に改造されたとしても、そのときには何の役にもたたないだろう」と。
まあ、「何の役にも立たない」とまでいうのは言いすぎであるとしても、フランス革命が宗教改革を経ない国家の改造であったように、現代の日本社会が、太平洋戦争後に制定された日本国憲法によって、より理性的な法組織に改変されたとしても、それが、「宗教改革なき革命」である点では同じである。それは言わば「現代の愚事」のひとつであって、その悲喜劇が現代の日本を覆っている。
しかし、いずれにせよ、カトリックが二十一世紀以降の人類の国家の精神的支柱になることはありえない。私たちが、万葉集の純朴な天真爛漫や、古代ギリシャの人間的な優美さを思い出すように、カトリックの清貧と従順を懐かしく思い出すとしても、それはすでに失われた過去の歴史の思い出としてであって、現代の精神的な原理としてではない。
0 件のコメント:
コメントを投稿