どんな歴史の本を読んでも、そこには多くの国家や民族の栄枯盛衰が語られている。個人や企業におけると同様に、国家や民族においても、その隆盛と衰退は避けられない。ただ哲学的な歴史家はそこに何らかの法則性を探ろうとする。個人にせよ企業にせよ、民族にせよ、国家にせよその栄華と没落は何に起因するのか。
短期的な視点から見ても、経済や景気の循環や一国の株価の動向と同じように山もあれば谷もある。最近のニュースを見ていると、最近の日本は長期的な停滞傾向に入っているようである。
小泉元首相が「改革なくして成長なし」 とか「官から民へ」という派手なキャッチフレーズを掲げて登場したとき、国民は圧倒的な支持を与えた。経済改革は竹中平蔵氏に丸投げすることで、郵政民営化や道路改革を実行しようとした。そして、それらの改革の試みが少なくとも国民や海外の投資家に夢を与えていた間は、日本の株価も復活し、失業率や倒産件数も改善された。雑誌「エコノミスト」ではビル・エモット氏らによって「日はまた昇る」として日本経済の力強い復活を語られもした。
しかし、小泉改革も「官僚」や「族議員」らの抵抗にあって、中途半端に終わるか挫折におわり、その傾向が、小泉内閣の後を引き継いだ安倍晋三前内閣の政治姿勢によってさらに決定的になったとき、安倍前内閣は国民の支持を失い、安倍晋三氏は政権を投げ出すしかなかった。安倍前内閣の崩壊の理由は、安倍晋三氏の個人的な病状によるものではなく、根本的には、郵政造反議員の復活や農水大臣の松岡利勝氏や赤城徳彦氏らの族議員、二世議員たちのカネをめぐる政治倫理の問題や国家公務員制度や経済に対する改革姿勢の後退が国民に見抜かれ見放されたことによるものである。
そして、安倍内閣の後を引き継いだ福田康夫氏とそれを選出した自由民主党の党略によって、内閣と与党の改革姿勢の頓挫と小泉政権時代のいわゆる「守旧派」の復活が決定的になった。
道路族の古賀誠氏が自民党の選対委員長に就任し、岐阜一区においては「小泉改革」の女刺客とまで揶揄された佐藤ゆかり氏が「国換え」となり、郵政改革で守旧派とされた野田聖子氏が公認候補として復活するなどして、一時は少なくとも表面的には「自民党をぶっ壊す」という改革姿勢を明確にして登場した「小泉改革」の流れは、ほぼ完全に息の根を止められたことが明らかになった。
小泉内閣が登場するまで「失われた十年」として、日本社会をおおっていた閉塞感が再び芽を伸ばしはじめたようである。それは現在の自民党と公明党による福田政権与党の政治姿勢と決して無関係ではない。日本の政治の、談合型利益誘導政治は完全に温存されたままであるし、公務員制度やマスコミ業界の改革もほとんど手着かずのままである。
改革の方向としては決して難しい問題ではない。政党再編によって、政治をまず利益誘導型政治から理念追求型政治へと根本的に変換することである。そして、新しい日本国のビジョンを明確にすることである。日本国の追求すべき理念とは何か。それは「自由」と「民主主義」である。この一見古くさい理念を新しく復活させることである。それは政治家の仕事でもある。これらの理念は、それだけの永久的な価値をもっている。
日本国の閉塞状況は、何よりも戦後民主主義の硬直した政治体制によって、国民の間に、経済の領域のみならず、政治、教育、文化芸術などあらゆる分野で、「自由」な創意工夫の気風が失われているからである。また似非「改革」が、国民の階層・階級の間の流動化を促すことにならずに、むしろ格差の拡大と固定化につながることになっているからである。
そして、真実の「民主主義」が政治においても教育においても、経済においても実行されていないがゆえに、国民の間には正義の倫理感は失われ、犯罪も増加し、国民生活のあらゆる側面においてセーフティ・ネットワークも確立されずに、国民は生活の不安におびえることになっている。
今さらに、国家の目的理念を「自由」と「民主主義」に確定して、それを全国民で追求するべきである。それが挫折した安倍晋三氏の「美しい国」の復活にもつながる。「自由」の拡大をめざして政治と経済を改革し、正義の実現をめざして、戦後日本の似非民主主義から転換して、真の「民主主義」を追求することだ。それによって、国民の不安と退廃の解消をめざすべきである。
具体的にいえば、「自由」と「民主主義」のそれぞれの理念の追求は、現在の利益談合政界を一度ご破算にして「自由党」と「民主党」に再編することによって実現される。そして、各議員の哲学に応じてそれぞれの政党に所属し、そこで真実の「自由」と「民主主義」を国民のために研鑽し追求してゆくことである。原理は単純で難しい話ではない。国民と政治家の自覚と実行力のやる気の問題である。そうして、「自由」と真の「民主主義」を求めることである。
まず「神の国」と「神の義」を求めよ。そうすれば、国民に必要なものはみな加えて与えられるだろう。
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